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神戸地方裁判所 昭和30年(ヨ)72号 判決

申請人 福井康吉

被申請人 株式会社神戸製鋼所

主文

被申請人が申請人に対する昭和三十年一月三十日発効したものとする解雇の意思表示の効力はこれを停止する。訴訟費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

申請人代理人は主文第一項同旨の判決を求め、その理由として次の通り陳述した。

(一)  申請人は昭和二十一年十月二十八日被申請人会社に雇傭され伸線工として尼崎工場に勤務し、その後配置転換により昭和二十九年一月二十一日から製型工として本社工場に勤務していた。申請人は右雇傭に際し、大阪市立日吉高等小学校を卒えたのみであるのに大阪府立市岡中学校卒業と前歴を詐称していたところ、被申請人会社は昭和三十年一月二十六日申請人に対し三日以内に任意退職の申立をしないときは、右雇傭の際の前歴詐称を理由として被申請人会社就業規則第八十二条第六号により解雇する旨の意思表示をなしたが申請人は右退職の申出をなさず、よつて被申請人は同月三十日限り申請人を解雇したものと取扱つている。而して就業規則第八十二条は「従業員が次の各号の一に該当するときは解雇する。」と定めその第六号は「第七十一条及び第七十二条に該当して懲戒解雇が確定したとき。」と規定し、第七十一条は「次の各号の一に該当するときは懲戒解雇する。」と定めその第五号は「重要な前歴を偽り、その他不正の方法を用いて雇い入れられたとき。」と規定している。

(二)  しかし乍ら、申請人の右詐称行為は就業規則第七十一条第五号に該当しない。即ち、申請人は昭和二十一年当時中国から引揚げ、頼るところもなく就職したい一心の余り前述のように学歴を詐称したのであつて、

而も専ら筋肉労働に従事する工員として雇傭されたもので高等小学校卒業か中学校卒業かの学歴如何の如きは従業に全然影響せず、且つその後伸線工、製型工としてすでに八年以上勤続しており、被申請人会社に対し実質的に全く何等の損害も与えていないのであつて、申請人の詐称した学歴は同条項にいわゆる「重要な前歴」ではないから、本件解雇は就業規則第八十二条第六号に則らずになされたものであつて無効である。

(三)  仮に申請人の右行為が就業規則第七十一条第五号に該当するとしても、同第六十七条は「従業員は本条より第七十三条までの規定による場合の外懲戒を受けることはない。規定違反の程度が軽微であるか特に情状酌量の余地があるか又は改しゆんの情が明らかであるときは懲戒の程度を軽減し、若しくはその執行を猶予し、又は懲戒を免じ訓戒にとゞめることがある。」と規定し、申請人は前記の如くやむを得ず学歴を詐称したものであり、詐称した学歴は雇傭後の職種と関係がなく、すでに八年以上勤続して何等実害の生じていないこと等を綜合考慮すると、

当然情状酌量の余地があり、第六十七条を適用すべきであるに拘らず被申請人会社はこれをなさず、前記就業規則を不当に適用の上解雇したものであつて、本件解雇は解雇権の濫用として無効である。

(四)  かりにそうでないとしても、本件解雇は不当労働行為である。即ち、申請人は尼崎工場在勤当時から被申請人会社労働組合の役員として組合活動を行い、本社工場へ転勤後、昭和三十年一月十五日組合役員である代議員選挙に於て当選者二十七名中第三位で当選し更に同月十七日右代議員中四名の常議員選挙が行われ、被申請人会社側の妨害工作にも拘らず第二位で当選した。ところが同月十九日保安課より取調を受け間もなく解雇されるに至つた。即ち、申請人は重要な組合役員に当選した途端解雇されたものであつて、被申請人は申請人の些細な前歴詐称に藉口し、真意は申請人の活溌な組合活動を忌避する意図で解雇したことは明白であるから、本件解雇は不当労働行為として無効である。

申請人は専ら労働者として被申請人会社から受ける給与により生活する者であるが現に解雇されたものとして取扱われ著しい損害を被つているので、右解雇の意思表示の効力の停止を求めるため本件仮処分申請に及ぶ。

被申請人代理人は、本件申請を却下する、との判決を求め、答弁として次の通り陳述した。

(一) 申請人の主張事実中(一)の事実並に(四)の事実中申請人が代議員、常議員に当選した事実は認めるが、その余の事実は争う。

(二) 凡そ近代的企業に於ては、雇主は労務者の雇入れに当つて労務者の労働技能は勿論、その健康、又は誠実さ熱心さ等労働力流出の源泉である全人格的価値の判断をするものと考えるのが常識であつて、その判断をするための準備上労務者の経歴を知ることは極めて重要なものであり、従つてこれを故意に秘匿することは就業規則第七十一条第五号の「重要な前歴を偽り、その他不正の方法を用いて雇い入れられたとき。」との懲戒事由に該当し、それは前歴詐称が会社に実害を与えたか否かとは無関係であり、而も、学歴詐称、殊に最終の学歴は「重要な経歴」であるから、申請人の学歴詐称行為は同条項に該当するものである。

(三) 次に、申請人は勤務期間中勤務成績不良であり、詐称によつて被申請人会社に対し給与面で若干の実害を与えており、且つ本社工場転勤に際しても同様詐称を繰返しているので、申請人主張の如き情状酌量の余地は存しない。

(四) 更に、本件解雇は申請人の前歴詐称により労務管理秩序確立の意図でなされたものであり、尼崎工場から本社工場へ転勤して来た組合役員で現に常議員をしている者でも、事故なき者は勤務しているのであり、従つて解雇は申請人の組合活動とは何等関係なく、これを理由としたものではない。(証拠省略)

理由

申請人は昭和二十一年十月二十八日被申請人会社に雇傭され伸線工として尼崎工場に勤務し、その後配置転換により昭和二十九年一月二十一日から、製型工として本社工場に勤務していたこと、申請人は雇傭されるに際し、大阪市立日吉高等小学校を卒えたのみであるのに大阪府立市岡中学校卒業と前歴を詐称したこと、被申請人は昭和三十年一月二十六日申請人に対し、三日以内に任意退職の申出をしないときは、右雇傭の際の前歴詐称を理由として被申請人会社就業規則第八十二条第六号により解雇する旨の意思表示をなしたが、申請人は同月二十九日を経過するも任意退職の申出をしなかつたこと、同条は「従業員が次の各号の一に該当するときは解雇する。」と定め、その第六号は「第七十一条及び第七十二条に該当して懲戒解雇が確定したとき。」と規定し、同第七十一条は「次の各号の一に該当するときは懲戒解雇する。」と定めその第五号は「重要な前歴を偽り、その他不正の方法を用いて雇い入れられたとき。」と規定していること、申請人が被申請人会社労働組合役員である代議員、常議員に当選した事実は当事者間に争がない。

そこで、先ず申請人の右前歴詐称行為が就業規則第七十一条第五号「重要な前歴を偽り、その他不正の方法を用いて雇い入れられたとき。」に該当するか否かについて判断する。

一般に使用者が労働者を雇傭するに際しては、当該労働者の知能、教育程度、経験、技能、性格、健康等について全人格的判断をなし、これに基いて採否を、採用の曉は賃金、地位その他労働条件を決定するのであるが、労働者の経歴は使用者の経営秩序の維持及び経営遂行との関連において、右全人格的判断の主要な一資料となるべきものであることは言うまでもない。而して右就業規則第七十一条第五号に所謂「重要な前歴」とは如何なる経歴部分を指すかは、その経歴部分が使用者の労働者に対する前示の如き全人格的判断に重大な影響を与えるものであるか否かによつて決定せらるべきであり、雇傭後に於ける経歴詐称に因る具体的損害の発生如何は右懲戒事由とは直接関連がなく単に懲戒事由による処分に際しての情状判断の一つの資料に止まるものと解される。ところで、申請人は前示の如く最終学歴を偽つたものであるが、学歴中殊に最終学歴は労働者の知能、教育程度を判断するにつき重要な資料となるべき経歴部分であることは、社会通念上疑い得ないところである。従つて、右経歴部分の詐称は使用者の労働者に対する全人格的判断に重大な影響を与えるものと言うべきである。そうすると、最終学歴は同条項にいう「重要な前歴」にあたるので申請人の右詐称行為は同条項に該当するものと言わなければならない。申請人は、解雇権の行使に当つては申請人の情状をしやく量すべきであるのにこれを無視してなされた本件解雇は解雇権の濫用であると主張するので考えると、成立に争のない甲第二号証の一、二によれば就業規則第六十七条には「従業員は本条より第七十三条までの規定による場合の外懲戒を受けることはない。規定違反の程度が軽微であるか特に情状しやく量の余地があるか又は改しゆんの情が明らかであるときは懲戒の程度を軽減し、若しくはその執行を猶予し、又は懲戒を免じ訓戒にとどめることがある。」と定められていることが疎明せられる。同条所定の如き情状の判断は使用者の恣意に委ねらるべきものではなく、使用者は客観的に妥当な判断をなすべき義務を負い、従つて、もし使用者がその判断を誤つて解雇した場合は、右解雇は同条に違反し解雇権の濫用として無効であると言わねばならない。けだし、私企業における使用者の有する解雇権が、資本主義経済機構における、一般に所有権の経営体内部における生産工程上の発現形態である経営権の一つの内容であるところから、解雇権の行使は、結局所有権のそれと同様に、自由であらねばならぬ。しかしながら、所有権の濫用が違法であると同様の理由により解雇権の濫用も亦違法であるといわざるを得ない。されば、かゝる場合の解雇は違法性を帯び無効であるという外はない。そこで本件につき解雇に価する情状の存否につき検討する。

成立に争のない疏乙第一号証及び申請人本人訊問の結果によれば、申請人は昭和二十一年六月頃中国より引揚げ、一時和歌山、徳島の親戚に身を寄せたのち大阪で職を求めたが、知合いも保証人もないので容易に職を得ることが出来ず、困惑のあまりせめて中学校を卒えた様に履歴書に書けば多少とも就職に有利であらうと浅慮にも速断して学歴を詐称するに至つたこと、被申請人会社には平工員として雇傭され専ら筋肉労働にのみ従事して来たこと、雇傭後満八年以上勤続しその間勤務上別段の支障がなかつたことが疏明せられ、而も昭和二十一年当時は敗戦直後で社会秩序は混乱し一般に道義意識が低下していたことは公知の事実である。尤も、成立に争のない疏乙第二号証によれば、申請人は本社転勤の際にも雇傭の際と同様の履歴書を提出して学歴を詐称している事実が疏明せられるが、既に被傭後約八年経過した後に於て申請人に解雇の危険を冐してまで自認を期待することは酷に過ぎるものと言わざるを得ず、又、成立に争のない疏乙第五号証によれば被申請人会社は申請人の学歴詐称により過去八年余の間に申請人に対し総額約四万三千二百円の給与過払(本来受けるべき給与の約三・七%過払)をなしたことが疏明せられるが、同号証及び申請人本人訊問の結果によると被申請人会社の給与算出方法は複雑であり申請人は学歴詐称により給与の過払を受けている事実を知らなかつたことが疏明せられる。次に申請人の出勤状況につき前記疏乙第五号証によると、昭和二十八、九年度二箇年間に於ける申請人の年間平均欠勤日数は一二・五日であり、右は被申請人会社作業員(長期病欠者を除く)の年間平均欠勤日数一〇・八日を一・八日上廻る程度であつて、良好とは言い得ないがさりとて著しく怠惰な出勤状況とも言い得ないものであることが疏明せられ、成立に争のない疏乙第六号証によれば、被申請人会社にて昭和二十一年より同三十年に至る間前歴詐称により解雇又は勧告による退職となつた者は総数九十一名(うち学歴詐称による者十三名)であるが、その殆どが入社一年以内に右処分を受けており、申請人の如く八年前の事由に基き処断解雇された事例は全く稀有であることが疏明せられる。

凡そ前歴詐称行為は、一般道義上からも又企業秩序維持の必要上からも決して看過すべき行為ではないが、不況の今日、給与によつてのみ生計を維持する労働者にとつて解雇はいわばその死命を制する極刑であることを思うとき、前歴詐称行為に対しても解雇権の行使は特に慎重を要することは言うまでもない。

一般に懲戒処分中解雇は、当該労働者をそれ以下の懲戒処分に附して反省の機会を与えることが無意味であつて、企業秩序維持の必要上当該労働者が企業内に止まることを許す余地が全くない場合に行われるものと解すべきである。而して本件就業規則第六十七条も右の見地から解釈せられるべきところ、前記疏明せられた諸般の情状を対比検討するとき、被申請人会社の企業秩序維持の必要上、申請人が企業内に止まることを許す余地が全くないとは到底言い得ず、被申請人は申請人を解雇より軽い懲戒処分に付するのが相当であると認められる。そうすると、結局本件解雇は同条項の適用を誤つたもので前説示の理由により解雇権の濫用として違法であり無効と言わなければならない。

而して申請人本人訊問の結果によれば、申請人は解雇により生計を失い回復することの出来ない著しい損害を蒙ることは明かであるからこの損害を避けるため、解雇の意思表示の無効であることが確定されるまで右の意思表示の効力の停止を求める本件申請は理由があるので訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 山内敏彦 大野千里 奥村正策)

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